「森」としての絵画

ぐは、長々と書いた日記が消えたー!ううう、この喪失感・・・うわーん。

愛知県の岡崎市美術博物館で開催中の「「森」としての絵画」という絵画展に友人4人と行った。暖かいのか寒いのかよくわからない気候だったけど気分だけはピクニックで楽しかった。
展示スペースは大きくも小さくもなく、展示場所によっては引きがあまりない。あまりいいとは思えないスペースだけど、すんなりと各作品を見ることができて、展示にはかなりの気が使われていると感じた。壁がグレーなのも驚いたけど、驚くほどすんなりと見れた。すんなりと見れたことにとても驚いた。各論はあんまり意味がないと思うからやめておくけど、気になることがあったのでメモ。
以前の展覧会*1で見た岡崎乾二郎の作品はそんなに好きではないと思っていたけど、今回の展示を見てかなり印象が変わっていることに驚いた。

  • 以前見た岡崎乾二郎の絵画も好きだったのだけどどこかで記憶がねじれて今に伝わっているのか
  • 二年の間に僕の中に岡崎乾二郎の作品を見ることができるだけの蓄積ができたのか
  • それともただ好みが変わっただけなのか
  • 普通に見れるようになったということは、感性の感度が悪くなっていると言うこともできるのかもしれない。

村瀬恭子、額田宣彦、杉戸洋は昔から好きだけど、今回その思いが再確認できた。と書いて思ったけどたぶん僕の好みはここ5年くらいはあんまり変わっていなくて、岡崎乾二郎の作品に魅かれた理由の「自分の好みが変わっただけ」というのは違う気がする。いい、悪いの判断はともかく、好き嫌いはそう簡単に変わるものでもないと思う。ならば岡崎乾二郎の作品を「いい」ものとして捕らえたということなのか?ことはそう簡単ではないと思う。きっと僕が考えていることや考えていないことが複雑に絡み合っているのではないかと思う。
とにかく岡崎乾二郎の作品が気になった。

その後名古屋に帰ってきて、近鉄パッセで春によく合う帽子を友人に選んでもらう。最終的には自分で選んだけど。清潔感のある白い帽子を買った。帽子だけでも清潔感を・・・

*1:2005ガレリア・フィナルテでの「岡崎乾二郎×松浦寿夫展」