夢みる世界から考えること

 ティア閉会後、どうしても行きたかったMOTの「大岩オスカール 夢みる世界」という展覧会を見に行きました。入場が17:30までだったのでかなりあわただしくて清澄白河の駅から走っったりしました。オスカールの作品のよしあしはともかくとして、昔から好きだし、今回これだけ大掛かりな個展を始めて見て、やっぱり好きだと思いました。オスカールの絵は完成しているのか完成していないのかよく分からない感じのものが多くて、入り口はあるけど出口はないみたいな不思議さがある。中途に見えるのに、その先を想像することができない・・・というか・・・
 平面作品は絵画としてみても、イラストのように見ても、うまく位置づけることが出来なくて不安な感じを与えます。なんていったらいいのか、もともと建築の学校を出ている人なので、絵画とか、イラストとか、そういう特定のジャンルからある程度自由に表現をしているように感じました。活動の拠点を一箇所にとどめずに、移動し続けているということも関係あるかもしれないと思っています。
 何か作品をつくろうというときに、ある特定のジャンル(絵画、漫画、小説、音楽、映画、評論・・・)で表現することになると思うのだけど(あるいはなにかを表現したとき、主観的にか客観的にか即座になにがしかのジャンルに分類されてしまう)、それぞれの表現の中で可能な限り優れた作品でありたいと思うことは、そういった姿勢を持つ作家すらもはや稀ではあるけど、自然だと思うし評価されてもいいと思う。でも特定のジャンルであることを超えて(「超える」という言葉はちょっと違うかもしれない。「ずれて」とでも言ったほうがいいのかもしれない)、「それ」「その作品」としか言いようのない表現があるのかもしれないと思った。オスカールの作品はそういうものになっていると思った。